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平成20年8月26日
独立行政法人
新エネルギー・産業技術総合開発機構
理事長 村田 成二

「ヒトES細胞を自由に遺伝子操作する技術の開発」
NEDO技術開発機構(村田成二理事長)、埼玉医科大学(山内俊雄学長)及び京都大学(尾池和夫総長)は、ヒトES細胞を自由に遺伝子操作する技術を開発しました。

本研究成果のポイント
○ ヒトES細胞への遺伝子導入に改良型アデノウイルスベクターを使用
○ ほぼ100%のヒトES細胞での遺伝子発現を実現
○ ヒトES細胞染色体上の特定の遺伝子配列を自由に改変する技術を高効率で実現
○ ヒトES細胞及びヒトiPS細胞を利用した創薬研究や再生医療に大きな一歩

  1. 背景
    すべての細胞組織に分化できる多能性を保ちつつ、無限に増殖させる事ができるヒトES細胞は、再生医療や創薬研究への応用が期待されています。しかしながら、扱いが難しく熟練した実験手技が必要とされるヒトES細胞では、これまで効率の良い遺伝子導入方法、特に相同組換え*1により染色体上の特定の標的遺伝子を自由に改変する『遺伝子ターゲッティング』の効率が非常に低く、このため分化誘導技術の開発や疾患モデルES細胞の作製が遅れているのが現状でした。

  2. 研究成果 今回の研究では、従来の遺伝子導入法ではなく、三谷幸之介教授らが以前開発した、毒性が非常に低く導入可能なDNAサイズの大きい「ヘルパー依存型アデノウイルスベクター」*2と呼ばれる改良型のアデノウイルスベクターを使用しました。一般的に、ウイルスベクターはウイルスが元来持つ宿主細胞への高い感染能力を利用するため、非ウイルス法よりも高い効率で遺伝子導入が可能です。その中でもアデノウイルスベクターは、遺伝子治療の臨床プロトコールで最も頻繁に使われるベクターであることからも明らかな様に、細胞にあまりダメージを与えずに最も高い効率で遺伝子導入を可能とするベクターです。本研究では、そのアデノウイルスベクターをさらに改良したベクターをヒトES細胞での遺伝子操作に用いたところに最大の特長があります。

    この改良型ベクターを用いた結果、ヒトES細胞の性質を失うことなく、ほぼ100%の細胞で外から導入した遺伝子を発現することが可能となりました。これまでは、非ウイルス法のうち最も効率の高い試薬を用いた場合の効率が40-50%で、他のウイルスベクターを用いた場合にも最高で数十%でした。本研究で100%近い細胞で遺伝子を導入・発現する技術を開発した結果、これまでよりも高い効率で特定の細胞への分化を誘導し、より厳密に遺伝子発現のオンオフをコントロールすることが可能になりました。

    さらにこの改良型アデノウイルスベクターの高い遺伝子導入効率と長い配列のDNAが導入可能となることを利用して、ヒトES細胞染色体上の標的配列と同じ配列(相同配列)をベクターに組み込みヒトES細胞に導入することによって、ES細胞の特定の遺伝子配列を高い確率で正確に操作(遺伝子ターゲッティング)することを可能とする技術を開発しました。これまでの非ウイルス法による遺伝子導入では、ベクターDNAが染色体に組み込まれた細胞のうち1%以下の細胞が、相同組換えにより遺伝子改変された細胞となった。しかし、今回の改良型アデノウイルスベクターを用いることによって、ベクターDNAが染色体に組み込まれた細胞(薬剤で選択可能)のうち、半数に近い細胞(従来の方法に比べて約50倍高い効率)で遺伝子改変された細胞を得ることに成功しました。 これらの改善点により、これまでは非常に困難であったヒトES細胞における染色体操作(特定の遺伝子座への外来遺伝子の挿入や遺伝子ノックアウト)の高速化と効率化が可能となりました。 また、ほぼ同様の結果が、京都大学で樹立された複数のヒトES細胞株とカニクイザルES細胞株で得られることが確認されました。すなわち、改良型アデノウイルスベクターを用いた遺伝子発現と遺伝子操作技術は、霊長類ES細胞やES細胞と同様の性質を持つと考えられている人工多能性幹細胞 (iPS細胞)において広汎に応用可能である事が示唆されました。

  3. 今後の展望
      今回の研究では、改良型アデノウイルスベクターがヒトES細胞への遺伝子導入、特に特定の遺伝子を自由自在に操作する、いわゆる遺伝子ターゲッティングのツールとして非常に有効であることを示しました。これまでの培養条件の操作による分化誘導法と比べて、はるかに高い効率で神経細胞、肝細胞、心筋細胞などの分化細胞へ誘導することが可能になることが期待されます。
      また、効率の高い遺伝子ターゲッティング法を応用して、染色体へ蛍光遺伝子を組み込むことにより、特定の細胞系列に分化した場合にのみ蛍光を発光させることによりリアルタイムな検出が可能となるES細胞を作成することが可能となりました。例えば、肝細胞に分化したときにのみ蛍光を発する細胞を用いれば、その分化誘導技術を大幅に改善でき、さらに発光細胞を選別することで肝細胞のみを純化できることが期待されます。さらに、神経疾患などの遺伝子を操作して病因となる変異を正確に導入したES 細胞を作製し、そのES細胞から神経を誘導してその疾患に対する薬の候補をスクリーニングすれば、より確実に薬効を評価できるアッセイ細胞として非常に価値がある細胞となります。これらの疾患モデルES細胞は、病因そのものを解明する上でも非常に重要なツールとなります。
      これらヒトES細胞で得られたこの知見を生かして、iPS細胞を用いた様々な研究もさらに促進されることが期待されます。

    本研究成果は、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America:PNAS』(平成20年9月9日号)に掲載されます。

  4. お問い合わせ先
      内容について
    埼玉医科大学ゲノム医学研究センター
    遺伝子治療部門 教授 三谷 幸之介
    TEL:042-984-4417   FAX:042-984-4655

    京都大学物質―細胞統合システム拠点/再生医科学研究所
    拠点長/教授 中辻 憲夫
    TEL:075-751-3808   FAX:075-751-3890

    NEDO技術開発機構
    バイオテクノロジー・医療技術開発部
    主査 新田 実
    TEL:044-520-5231

<補足説明>
*1 相同組換え
DNAの塩基配列がよく似た部位(相同部位)同士で起こるDNAの交換反応。体細胞分裂期には染色体の切断の原因になるDNA二重鎖切断の修復に、減数分裂期には相同染色体の分配に重要な役割を果たしている。この機構を利用して、外から相同配列をもつDNAを導入し、細胞が持つ染色体内の任意の遺伝子を外来DNAに置換する事を遺伝子ターゲッティングと呼ぶ。マウスES細胞ではこの技術を用いて多くの遺伝子ノックアウトマウスが作製されてきたが、ヒトES細胞では困難であった。
    
*2 ヘルパー依存型アデノウイルスベクター
埼玉医科大学三谷幸之介教授らが以前開発した改良型のアデノウイルスベクター。アデノウイルスは多種多様な細胞に高効率で感染することができ、最もよく研究されているウイルスのひとつである。アデノウイルスベクターとは遺伝子の運び屋 (ベクター) として改良されたアデノウイルスの事である。現在汎用されているアデノウイルスベクターはE1遺伝子を欠損しているため、E1遺伝子を持続的に発現している特殊な細胞 (293細胞) でのみ増殖することができ、通常の細胞には感染する事は可能であるが増殖することはない。このような特徴からアデノウイルスベクターは安全かつ高効率な遺伝子導入ツールとして様々な分野で広く利用されている。しかしながら、ベクター上に残されているアデノウイルス遺伝子が低レベルながら発現してしまう事による免疫原性と細胞毒性や外来DNAの挿入領域の制限が小さいことが問題となっていた。これらの問題を解決するため、ベクター上からは全てのウイルス遺伝子を除き、その代わりヘルパーとよばれるウイルスが形成するウイルス粒子にベクターがパッケージされる、ヘルパー依存型アデノウイルスベクターが開発された。このベクターの大きな特徴としては、アデノウイルスが本来持つ高効率な遺伝子導入効率を維持したまま、最大35 kbの大きな外来DNAが挿入可能であることから、特に、長い相同配列が必要とされる遺伝子ターゲッティング用ベクターとして適している可能性が考えられていた。
E1欠損型(従来型)とヘルパー依存型