NEDO40年史 イノベーションで未来をつくる
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40thエネルギー・環境・産業技術の40年と未来へ向けて ②Society 5.0に向けた社会課題解決への歩み中長期的な発展に向け 技術開発を総合的に推進 NEDOが新エネルギー技術開発に加えて産業技術開発に取り組み始めたのは、1988年のことです。1980年代当初は、戦後の産業復興から高度経済成長を経て、鉄鋼、電気製品、自動車、半導体といった分野で日本企業が活躍し、「Made in Japan」が世界を席巻していた時代でした。ところが1980年代半ばには状況が一転し、日本の半導体産業の競争力をそぐきっかけになったとされる「日米半導体摩擦」、日本の輸出減少につながった1985年の「プラザ合意」といった反動が日本の産業界を襲います。 こうした状況の中、先進国として国際競争力を得るためには、自力で基礎研究を振興し産業化を進めるべきとの機運が高まっていきます。そして、「産業技術に関する研究開発体制の整備に関する法律」が施行され、1988年、NEDOに産業技術の研究開発が業務として追加されました。NEDOは幅広い分野における日本の産業活性化に向け、中長期的発展のために必要な産業分野での基礎的な技術開発を総合的に推進する立場となったのです。変化する情報化社会の中 日本の技術力を支える 1990年代にNEDOで実施したのが、現在のナノテク技術の基盤となった「原子・分子極限操作技術(アトムテクノロジー)」や、日本が大きくシェアを獲得情報通信技術の発展に伴って社会の変化が加速する中、2010年代には「Society 5.0」や「Con­nected Industries」といった新しいコンセプトが打ち出されました。IoTやビッグデータ、AI、ロボティクスといった技術を連携させながら、NEDOは社会実装の歩みを加速しています。した半導体・磁気記録・液晶など幅広い分野に技術波及効果を及ぼした「超先端電子技術開発促進事業」といったプロジェクトです。また「ナノメータ制御光ディスクシステム」で生み出された要素技術は「ブルーレイディスク」で巨大市場形成に大きく寄与し、実用化につながる技術開発を推進してきました。NEDOプロジェクトの研究開発による要素技術などを基に製品化された「ブルーレイディスク」 こうした大型プロジェクトが進む中、1990 年代中頃にバブル経済が弾け、日本は「失われた20年」に突入します。同時に、コンピューターや情報家電、液晶ディスプレイ、半導体などの分野で世界的に競争が激化し、産業構造は垂直統合のすり合わせ型から国際分業による組み合わせ型へと大きな変化が起こりました。また、1990年代後半になると、技術の全体系を持たない国でも特定領域への集中投資によってグローバル市場で競争優位を築くようになり、特に半導体市場は2000年代に入ると、韓国・台湾の台頭が著しくなります。2010年代に入ると日本は、「技術で勝ってビジネスで負ける」といわれるようになり、産業内における協調領域と競争領域をうまく管32 NEDO 40年史

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