NEDO40年史 イノベーションで未来をつくる
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Chapter 1  Part 2  NEDO40年の沿革 NEDO 40年史 53 1980年10月、石油代替エネルギーの開発を総合的に推進する機関として、「新エネルギー総合開発機構(NEDO)」が誕生しました。設立の契機となったのは、1970年代に世界を襲った2度のオイルショックです。戦後の高度経済成長期を経た日本は、第四次中東戦争やイラン革命をきっかけとした石油価格高騰によりインフレや景気後退、国際収支悪化に見舞われ、過度な石油依存からの脱却が必要と指摘されたものの、民間での実現は難しい状況でした。 そこで、1980年5月に制定された「石油代替エネルギーの開発及び導入の促進に関する法律」(法律第71号)に基づき、「石炭鉱業合理化事業団」を改組する形でNEDOが誕生しました。電源開発促進税の使途拡大と税率引き上げ、石油税の使途拡大により必要資金を確保し、「電源開発促進対策特別会計」(電源特会)に「電源多様化勘定」を新設(発電のための石油代替エネルギーの利用促進)、「石炭及び石油対策特別会計」(石特)に「石油代替エネルギー」を加えて「石炭並びに石油及び石油代替エネルギー対策特別会計」に改組(発電以外の石油代替エネルギーの利用促進)することで、計画的な予算措置を確立しました。また、石油代替エネルギー利用促進のための財政投融資や税制面の整備も進めています。 また、石油代替エネルギーの開発は官だけではなく、民間企業やアカデミアの英知を結集し、人材、資金を有効活用して行う必要性があります。そこで業務運営にあたり設置された運営委員は産・学を中心とした委員で構成され、初代運営委員長には日本経済団体連合会会長だった土光敏夫氏が就任しました。こうしてNEDOは産学官を連携しながら、石炭の液化・ガス化、太陽光発電、地熱開発といった新エネルギーの技術開発や調査といった事業を手掛け始めます。時代の要請を受け、エネルギー問題解決の先導役として誕生1980年 「新エネルギー総合開発機構(NEDO)」設立 1985年のプラザ合意後に訪れた円高不況を乗り越えた日本にバブル景気が到来する中、1988年10月にNEDOの業務に産業技術に関する研究開発業務が追加され、「新エネルギー・産業技術総合開発機構」へと改組・拡大されました。 当時、企業はさらなる国際競争力の向上が求められ、中長期的な視点での技術開発の必要性が再認識されます。そこで、民間活力を引き出すため、国が主導して技術開発を進める体制整備が進められ、既に民間企業への研究開発委託や産学官連携の実績を持つNEDOに、産業技術の開発業務が追加されることとなりました。1988年10月に施行された「産業技術に関する研究開発体制の整備に関する法律」により、NEDOに「研究開発事業」 「国際共同研究助成事業」 「研究基盤整備事業」3つを柱とする産業技術研究開発部門が設立されています。産業技術開発業務が追加され、 「エネルギー」と「産業技術」の両輪へ1988年 産業技術開発業務が追加 「新エネルギー・産業技術総合開発機構」に改称創立当時の運営委員会。土光運営委員長(左)と圓城寺委員(二代目運営委員長・右)(1980年)香川県仁尾町(現・三豊市)の太陽熱発電プラントを視察する運営委員会(1980年代)Development OrganizationのDとOで∞(無限)のマークを形づくり、NEDOが「無限の可能性」を求めて鋭く挑戦する機構であることを表現(1981年)9月イラン・イラク戦争10月北炭夕張新炭鉱の閉山8月 日本航空ジャンボ機、御巣鷹山に墜落1月 米国スペースシャトル・チャレンジャー爆発4月 ソ連チェルノブイリ原発で事故発生4月国鉄分割・民営化4月消費税3%導入>> 世の中の動き198019821985198619871989

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